潜伏 Vol.9

潜伏 Vol.9

これ以上、話し続けると、思わずこちら側の情報を喋ってしまいそうなので、半ば強引に清美は携帯を切った。実際、本庁は浅田ミチエを警戒しているようだ。極秘扱いされているミチエの特殊能力は、本庁でも把握しているということになる。テレビで強制捜査の件は一切、触れられていない。患者の移送が終わるまで伏せておくのだろう。
源三の方へ目をやると、パソコンで法子の残したレポ-トや取材ノ-トを細かく読み込みながら、次号に掲載する原稿を書き始めていた。

「川中精神病院に強制捜査が入るわ。ミチエ以外、他の患者は一時、帰宅が認められるそうだけど、源三の奥さん引き取りに行かなくていいの?」

清美は無意識に感情的な言い方をしていた。原稿を書く手を止めた源三は、パソコンの画面を見詰めたまま抑揚の無い声を発した。

「元、妻や。もう俺には関係無い女や」

源三が触れられたくなかった部分を、無神経に土足のまま踏み込んでしまった自分を直ぐに後悔した。大体、冷静に考えれば解かる事だ。この状況で源三が引き取りに行けるはずが無い。行けば、速攻で逮捕されるじゃないか。清美は自分の感情が冷静さを失い、警察官という職業から遙か無縁な場所に位置してしまった現実を思い知った。

「変な意味で言ったんじゃないから」と取り繕うのが精一杯だった。

「強制捜査が終わるまで、俺への捜査は手薄になるやろ。それまでに原稿が書ける」

源三は笑いながら「そうだろう」と頷いて、再び原稿を書き始めた。

「警察のやることは、相変わらずトロイね」

高峰が起き出してきた。マスタ-もだるそうに身体を起こして、欠伸を連発させながら立ち上がった。

「清美さん、交替しよう。あんたも少し眠っておいた方がいい」

「そうだよ。常に緊張したまんまじゃ、いざとなった時に力が出せないからね」

高峰にしては珍しいぐらい、清美を気遣った言葉だった。マスタ-はすっかり疲れが取れたらしく、窓外へにらみを利かせながら、時折、源三の様子を確認している。高峰もキッチンに向かって、ゴソゴソと何やら始めだした。この二人に任せておいた方が良さそうだ。疲れ過ぎていて、もはや冷静な対応が取れない。清美は隣の部屋に行って、床に身体を投げ出した。眠ろうとするが、疲れ過ぎていて眠れなかった。もう何日もフロに入っていなかったので、シャワ-だけでも浴びたかったが、そんな悠長なことをしている場合じゃない。何時、清と舞が現われるかもしれないのだ。どうにかして眠ろうとするが、そうすればするほど目が冴えて眠れない。イライラしていると、カップラ-メンと湯気の立ったコップを抱えて源三が入って来た。

「俺もこれ食うたら、ちょっと寝るわ」

清美は手渡されたラ-メンを無心にすすった。空腹感は無かったが、身体が要求しているようだ。コップに口を近づけると、焼酎独特の香りが湯気と供に立ち上ってきた。

「お湯割り飲んで、暫し休戦や」

源三は少しずつ口を付けて飲み干していった。このまま眠れないんじゃ、身体が持たなくなる。清美も源三を真似て、少しづつ飲んでいった。

「さっきは変な話して悪かった」

「別に気にしてへん。俺は清美に感謝しても、しつくせんぐらい感謝してんねん。早く事件、終わらせようや」

源三は床の上に身体を投げ出して、清美をじっと見つめてきた。清美もそれに答えて、源三を見つめた。

「そうね。終わらせましょう」

清美は互いの気持ちが通じ合ったような感覚になった。それだけで良かった。直ぐに身体が熱くなり、コップの中の焼酎を飲み干した頃には、気を失いそうなぐらい凄まじい睡魔が襲い掛かってきた。源三は既に寝息を立てている。清美も源三の横に並んで眠りに入っていった。

果てなき興亡 Vol.1へつづく