プロローグ Vol.1

プロローグ Vol.1

その日は妙に晴れていた。
縁側から差し込んでくる光線が自動露出の機能を遥かに上回り、室内側をより暗く、外界を銀幕に映し出された発光体の様に窓一つ隔てて二分していた。今までに見たこともない光景が強烈な緊張状態を作り出している。死んだはずの白いスピッツの犬小屋が、以前と変わりなく狭い庭の片隅に置かれたままになっていて、中から薄汚れた老犬が潜んでいる気配すらしていた。
メリ-と名付けられた老犬はボクが生まれる前からこの屋敷にいる。父親が中学生の頃から飼っていて十五年近く生きたそうだ。利口な犬で、買物カゴを首からぶら下げて肉や魚を買って来ていたらしい。家族の誰からも愛され、順風満帆に暮らして来たメリ-が、温厚な性格に異変をきたしたのは、ボクが生まれたのと同時だった。スピッツにしては吠える事が少なかったメリ-が、ボクの姿を見ると発狂した様に吠えるのだ。

「メリ-はやきもち、焼いとんや」

その異変を誰もが重く捉える者はいなかったが、当事者のボクにとっては死活問題だった。メリ-のテリトリ-は犬小屋の置かれた庭だけでなく、屋敷の中にまで及んでいたからだ。メリ-はボクの姿を見る度にけたたましく吠える為、いつの間にか別々の部屋に隔離され、ボクが歩き始めた頃には庭だけになっていた。そこは、ボクが決して足を踏み入れてはならない禁猟区と化していた。それでも、歩き始めたばかりのボクの好奇心は旺盛で、おそらく仲良くなる為に、お菓子を手にして禁猟区へと足を踏み入れてしまったのだ。

メリ-は小屋の中にいた。恐る恐る近づく度に、物凄い圧迫感を感じたのを、今でも憶えている。小屋の手前まで来ると低い唸り声が伝わって来た。夕方近く、掘りに沿って植え込まれた柿の木々がより一層、庭全体を薄暗く外界から遮断しているせいもあって、半円形の入口の中は、真っ暗で闇に包まれていた。唸り声は闇の中で不気味に響き渡った。知識や経験のない無防備な幼児ですら恐いと感じるのは、生まれ持った防衛本能なのかもしれない。ボクは小屋の前で硬直した。逃げようと思うのだが足が竦んで一歩も動けない。メリ-とボクの間に緊張が走った。闇の中で不気味に二つの目が光った瞬間、あろうことかボクは意に反してお菓子を手掴みにした左手を半円形の中に突っ込んでしまう。同時に、激痛が走り記憶は途絶える。その後、メリ-は首輪を着けられ、頑丈な鎖に繋がれたが、ボクは二度と庭に足を踏み入れる事はなかった。庭は恐い場所としてインプットされていた。


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