身元不明の少女 Ⅰ Vol.2

身元不明の少女 Ⅰ Vol.2

窓の外から強烈な光が差し込んできて、室内に鉄格子の長い影を伸ばしていった。飲み過ぎで、ドロドロに粘っこい粘膜の張った目は、クロスフィルタ-が掛られた様で太陽の光はきつい。
若い男に「もう、帰っていいから」とつっけんどんに言われるまま外に出た。 ぼやけた視線で振り返って、今、出て来たビルを確認すると、中野警察署となっている。 (確か新宿で飲んでいたはずなのに、どうして中野か?)と思いを巡らせながらも、思考は相変わらず不明瞭で、とりあえず青梅街道を新宿方面へと歩き出していった。

「医者に診てもらったら」

もう一度、振り返ると、つい今しがた開放されたばかりの中年女が立っていた。「精神病院か」と、こめかみの横で人差し指をクルクルと回してみる。中年女は笑いながら拒絶した。

「今井さん、目の中、黄色いから飲み過ぎで肝臓いかれてんじゃない?今のうちだから。バ-ストしたら二度と再生しないって言うじゃない」

朝日を逆光ぎみに浴びた中年女は、調べ室での不健康さを微塵も感じさせなかったが、何日も風呂に入っていない様なベトついた頭皮に、フケがこびりついているのがはっきり見て取れる。

「別に長生きしょう思ってへん」

「また会う事になると思うから」

「勘弁してーな。俺、何もしてへんやろ。そやから、釈放されたんやろ」

東京に出てきて二十年以上になるが、酔いが回ると相変わらず放言が生き生きと復活する。 そんな自分が自慢気でもあり、気分がいい。中年女は、血糊の付いた手を指差した。

「その血、害者のものだから、あなた無関係じゃないって事、覚えといて。何か思い出したら連絡してくる事」

差し出された名刺には『警部補、中川清美』と記されていた。

「刑事課、言うたら殺人事件か何かか?」

改めて掌にこびりついた血糊を見て、背筋に絡み付いた神経に微弱な電気が走ったようで、嫌悪感が一気に噴き上がった。 慌てて目に付いた公園に飛び込み、水飲み場の蛇口をひねった。公衆便所の手洗いだと臭いだけで気分的に吐きそうだ。 既に二日酔いが始まっている。出来るだけ不潔なものから遠ざからないと嘔吐感が増してくる。 心臓が猛烈に躍動し、胃の辺りがドクドク波打ち始める。神経質なまでに両手を擦り付けて流し落とそうとするが、固まってこびり付いた血糊はなかなか落ちてくれない。 爪の間に挟まって赤黒くなったものは全く無理だった。瞬間的に臭いを嗅いでみるが、認知能力が拒絶している。
アパートの部屋に逃げ帰るように辿り着いて10年来着続けているMA-1を脱ぎ捨てて、もう一度台所の蛇口を勢い良く捻って頭から浴び、何度もうがいをした。いつもなら手ですくうところだが、ともかく今は目に付いたコップを手にしている。食器用の洗剤で再び手を洗い、何度も残り香を確かめた。そのままシャワーを浴びるにはヘビーなぐらい二日酔いが酷くなってきている。着ているもの全てに血糊が飛び散っている感じがしてパンツ以外全部脱ぎ去り、目につかない場所に放り込んだ。

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