身元不明の少女 Ⅲ Vol.2

身元不明の少女 Ⅲ Vol.2

アルタ前を通り過ぎて住友銀行手前の路地を曲がって直ぐの雑居ビル7階にある居酒屋に到着した。昨夜、取った行動の反復を試みて、源三は欠落した記憶を呼び起こそうとしていた。店内に入って窓際の座席に座った。空いている時は必ずこの位置だ。一人で来たときは、設置された大型テレビでナイタ-中継を観ながら、時々、窓越しに広がる歌舞伎町のア-ケ-ド付近を見下ろして時間を潰している。ともかく年配のサラリ-マンが多い。安いだけでなく、時代から取り残されてしまった雰囲気はかえって若者を寄せ付けない為か、年寄り達にとっては歌舞伎町のちょっとした隠れ家になっている。ビンビ-ルと枝豆、ナッツ類を注文した。このパタ-ンはどこの店に行っても同様で、味に関して外す事は、まず無い。ところが、その後、食べた物がまるで思い出せなかった。記憶中枢に致命的な欠陥があるな、と思いながら店内を隈無く見渡してみるが、記憶を呼び醒ましてくれるキッカケに成りそうな物は何も目に付かない。演歌歌手のキャンペ-ン用ポスタ-が一枚、張ってあるが、見た事も無い顔だし、関係ありそうもない。カウンタ-越しの厨房でブラジル人シェフが黙々と作業をこなしている。着物の上から割烹着を身に付けた七十過ぎの老女が、歳の割には活発に動き廻っている。この店の経営者かもしれない。留学生らしい中国人ウエイトレスの話す日本語はともかく丁寧で気持ちが良い。年配客からの受けも良く、化粧気の無い木目細かな肌と黒髪のポニ-テ-ルが、より彼女を素敵に見せている。

「お客さん、昨日は幸運でしたね。でも、二日続けては絶対、無理ですよ」

ウ-ロンハイと季節外れのカツオタタキをテ-ブルにひろげながらウエイトレスが笑った。「エッ」となって、何の事かと聞き返そうとした時には、厨房の中へ彼女の姿は消えていた。

「幸運って、何だ?」

思わず口走って、慌てて辺りを見回した。気が付いている者はいない。リオのカ-ニバル風のホイッスルを吹き鳴らしながら、ブラジル人シェフがホ-ルに出て来てサンバを踊り始めた。客達は拍手喝采で盛り上げる。いきなり拳を振り上げたシェフに反応して、客達も拳を振り上げた。意に反して自分もつられて振り上げる。

「最初はグ-。ジャンケン、ポン」

突如としてジャンケン大会が繰り広げられ、気が付くと自分を中心に拍手や野次が飛び交う中、ポラロイドカメラのフラシュを浴びていた。

「凄いよ、お客さん。二日も続けて優勝するなんて。ついてる、ついてる。」

中国人ウエイトレスが出来上がったばかりのポラロイド写真を、入口レジ近くの壁に向かって貼り始めた。ようやく、事情が飲み込めた。ジャンケン大会の優勝者は、その日、飲み食いした代金がただに成るのだ。ブラジル人シェフや経営者の老女はしらけた視線を投げかけて来る。昨夜、居合わせた常連客の一人が面白くないと言った風で、敵意剥き出しの目付きをした。

「二日も連チャン取ったら、普通、辞退するんじゃない。こういうのシャレだから、シャレ。平等に分け与えなきゃ。年寄りいじめてどうすんの?いい若いもんが」

紺のス-ツをビシッと着込んで、白髪の禿げかかった頭をポマ-ドか何かでオ-ルバックに固めた背の高い老人が、許可も無しに向かいの席にドカッと座った。相当、酔っている。深い皺が刻まれ酒焼けした赤ら顔を近づけ、にらみを利かせて来た。充血した目は粘度の高い涙と目脂に覆われている。体臭なのか、買ったきり一度もクリ-ニングに出していないのか、鼻を突く刺激臭が襲い掛かって来た。よく見ると、上着の袖口がテカテカに擦り切れ、綻んでいる。老人は不燃物回収日に衣料や小物を仕入れ、原宿辺りのフリ-マ-ケットで日銭を稼ぐ路上生活者だった。ドキュメンタリ-番組で同じ様な老人を見た事がある。ただで入手した宝物は、壊れかかったキャリアに積み上げ、ブル-シ-トで覆って雨露を凌ぐ。一見、御輿の櫓の様だ。路上の死角、数ヶ所に隠し持ち、店開きに合わせて持ち出し、時折、場所を移動させる。置きっぱなしだと役所が撤去命令の通知を張り出し、脅しでなく実際に撤去してしまうからだ。追いつ追われつの攻防が当て所もなく続く。自分もあと僅かでそうなってしまうかもしれない。家賃はすでに半年近く滞納している。今現在、無職の為、入金される予定はこの先見込めない。ライフラインが絶たれるのも時間の問題だ。何時もならムカついて先に手を出すところだが、目前のクソオヤジには親近感すら湧いている。ホッピ-を一杯おごっただけでオヤジは上機嫌になった。

Vol.3へつづく