弥生 Vol.3


弥生 Vol.3

署に少し遅れて到着した時、二見課長が待ち構えていた。

「駄目だよ、中川。行き倒れでうちの課、動いちゃ。それも鑑識まで。どうしたの」

「すいません、二見警部。直接うちに連絡があったので、初動しました」

「後で署長に一言いれといてくれな。また税金がどうのこうの言われてるから、結構シビアになってるんよ」

「解かりました。丁重にお詫びしておきます。それより警部、第一通報者、119番とうちの課に直通入れてるんですよ。自分達が現場に到着した時、査(巡査)は来ていませんでした。110番していないって事ですよ。変だと思いませんか?」

「前に来た事ある奴だろう。まあ、変っちゃあ変だなあ」

「どうも引っ掛かるんですよ。それとマンジュウの形状も・・・」

「鑑識からは何も言って来て無いけどな」

「救急隊員が側に泥酔者が居た為、社会死状態と判断しなかったみたいで、処置しましたから」

「どういう状態よ」

清美は自分の左手を口に頬張り再現しょうと試みたが、当然、出来る訳無く、二見は呆気に取られている。

「何やってんだ、お前」

「だから、こうやって喉の奥まで左手を突っ込んでたんですよ。それも相当奥まで。普通の神経じゃ無理です。況して力の無い少女に。なのに顎の骨が外れてたんですよ」

二見も同じ仕草をして半分笑っている。二見は刑事ドラマでよく描かれるパタ-ンの嫌な上司像とは全く違っていた。部下思いの現場第一主義者だ。ミスを決して部下に押しつけたりしない。むしろ自分が責任を取るぐらいで、何度も減俸処分を受けている。清美だけでなく、署にいる殆どの者が二見を尊敬し慕っている。

「笑い事じゃないですよ。初めて見ましたよ、あんなの」

「俺だって初めてだよ。まあ、事故死と断定されたんだ。後は少年課の身元割り出しを待つだけだな」

不可解な点はあったが、刑事課が扱う事件では無かった。誰もが直ぐに身元が割れるだろうと高を括っていたのも確かだ。ところが二日経っても身元は割り出されて来なかった。必然的に捜索願いが提出された年度を三年前まで遡り、他県にも照会する事になったが、経過は思わしくない。マスコミは孤独な少女の死に疑惑の目を向け、数々の憶測が飛び交わされていった。似顔絵や身体的特長、当日の着衣が報じられるも、寄せられて来た情報は一件も無かった。

「道子さん、今そっちに向かってるんだけど、弥生ちゃん学校から帰って来てる?エッ!そうなの。解かった。ともかく話してみるから」

どうやら丸尾の心配は的中していた様だ。弥生はあれ以来、不登校になっていた。電話口の道子も沈んでいて重い感じがする。産後の所為もあるだろうが、丸尾家にとっては重大な局面を向かえているのは間違いない。メ-ルを一通りチェックして、清美は携帯の電源をOFFにした。話しの途中で腰を折られたくなかったし、緊急時にはポケベルで呼び出されるから必要ない。時計を確認すると午後八時を少し過ぎていた。

目黒の閑静な住宅街に丸尾の一軒家はあった。大学教授は儲かるんだなと、何時来ても思うほど立派なたたずまいだった。
チャイムを押すと待ち構えていた道子が、生まれたばかりの赤ん坊を抱いて出て来た。取り敢えず出産の祝いを告げるが、道子は引き攣った笑みを浮かべるだけで、今にも泣き出しそうである。両頬に殴打された痕が青痣になって、くっきりと残っていた。広い玄関から続く長い廊下を抜けてリビングに通された清美は、我が目を疑う事になる。
以前、訪問した時には潔癖症かと思えるほど塵一つ無く整頓されていた空間が、足の踏み場も無いほどゴミや衣類で溢れかえっていた。壁面に陥没した痕跡が数ヶ所、生々しく残っている。バットか何かで殴打した跡だ。キッチン回りは、割れたコップや皿が散乱している。道子は赤ん坊を抱いたまま、ソファ-に身を沈めて身体を震わせた。立っている事が出来ないぐらい消耗しているのだろう。声を掛け様にも憔悴しきった道子を目の当たりにしていると言葉が出て来ない。


Vol.4へつづく