弥生 Vol.5

弥生 Vol.5

居間に戻った時、帰宅したばかりの丸尾が待ち構えていた。清美は丸尾と暫く目を合わせられないでいた。役に立て無かった虚無感だからじゃ無い。恐怖から生還するのに時間が必要だったのだ。虚脱して呆然としているところに丸尾から声を掛けて来た。

「どうだった」

清美は首を振った。どう答えたら良いのか、言葉に成らなかった。丸尾の顔は三日前に会った時の印象とは随分、違っていた。不精髭が伸び放題のまま、眼下の隈が青黒く腫れ上がっている。僅か三日で頬はげっそりとこけ、顔色が悪い。気が付くと道子と赤ん坊の姿が無くなっていた。丸尾は二階の様子を伺いながら、清美をダイニングテ-ブルの方へ促した。丸尾は清美に出来るだけ近づき、声を押し殺した。

「もう、三日も寝ていない。と言うより、寝かせてくれないんだ。昨日なんかバットを振り上げて、見てくれよ、あっちこっち破壊していった。中川君に話したあの日から突然、始まった。それまでにも、兆候はあったけど、こんな激しいのは初めてだ。まるでこっちからの問い掛けには答えてくれない。完全に無視しているんだ。」

丸尾の声はか細く、所々、不明瞭で聞き取りづらかった。

「貴方、医者でしょ。あの状態、普通じゃ無い。精神科の医者に診せるべきよ」

「そんな事は解かっている。解かっているが、どうしても出来ない。実の子を診せるなんて俺には出来ない。考えてもみてくれよ。突然だよ。こんな事が起こったのは。今まで一度も無かったんだ。二、三日経てば、元に戻るだろうって期待するのは当たり前だろ。他人の子だから、そんな事、平気で言えるんだ。相談した俺が間違っていた。帰ってくれ!」

「待ちなさいよ!少し冷静になって考えて。弥生ちゃんが精神病だなんて言ってない。ともかく状況を打開するには何かキッカケを作らないと前進しないでしょ。まず、ああなった原因を突き止めないと。あのまま放っといたらまずいでしょう」

「あいつ、君も受け入れなかった。クックックッ。君も薄汚い奴として見られたんだ」

丸尾の引き攣った笑いはゾッとさせるものがあった。人格がずれている。穏やかな丸尾本来の姿ではない。丸尾は明らかに何かを隠している。その何かが原因だ。そして、それは他人には決して知られたくない事。
清美は追い立てられる様にして丸尾家を後にした。正直、これ以上突っ込めなかった。突っ込みたくもなかった。


291号室 Vol.1へつづく