291号室 Vol.2

291号室 Vol.2

「今井君、どうしちゃったの。何回、電話しても出ないし、携帯も止められてるし。もしかして、緊急事態? 聞いてるよ。又、トラブッたんだって。全く要領、悪いんだから。ああ言うネタ、適当にやってればいいのよ。読者なんていい加減なんだから。真剣に読む奴なんて居ないって。たかがエロ雑誌じゃない。部数だって一万そこそこだし。だいたい半分近く返品されて来るんだから」

いきなりやって来た訪問者は、ずかずかと部屋の中に入って来るなり、捲し立て始めた。何時もなら、中に入れる前に追い返したくなる様な勘に触る女だが、今日は違っていた。虫の居所が良かった訳ではない。ともかく誰でもいいから人と居たかった。性的欲求の湧く事は、まず有り得ない女とでもだ。ここ数日、誰とも会っていなかった。部屋から一歩も出なかったのだから当たり前だが。財政的問題は何時もの事だが、それなら閉じ込もったりしない。単純に人と接触するシチュエ-ションを避けていた。それも特に女と。もっと突っ込んで言うと、女と酒を飲むという事だ。どんなに意識的に飲んだとしても、記憶を維持するのに自信が無かった。当然、その時の行動に責任は持てない。記憶が無いからだ。
ところが一週間、閉じ込もりっぱなしの中で、まずい現象が起こり始めていた。仮想状態の中で、頻繁に会話を起こすのだ。相手の居ない会話は脈絡無く続き、同じブロックが何度も続く。他者から見れば、独り言をル-プしている状態だ。永遠に続けば何の問題も無い。どっぷり漬かって、酔っていれば良いのだから。ル-プ状態の自分に気が付いた時こそが問題だ。現実と仮想の途方もないギャップに自らの存在自体を否定したくなる。その先は、幼稚な死を欲し、突発的に実演もする。意識があるからブレ-キは掛ける。確信が持てないのは、掛けそびれた時だ。ル-プから脱出するには人との接触が必要になる。取り敢えず、誰でも良い。

「お前は何時でも突然やな」

「旧姓に戻ったから、田所で、一つ宜しく。まあ、やっと今井君と対等ですよ」

対等と言われても、離婚経験が有ると言う意味なのか、それとも、今は独身と言う事を指しているのか、判別がつかなかった。田所は持参したビ-ルやつまみ類をテ-ブルに広げだした。

「いや~、離婚って本当、体力いるわ。慰謝料で揉めちゃって。だいたい向こうが悪いのによ、値切ってくるんだ、これが。まさか旦那がモ-ホ-だなんて思いもよらないじゃない。顔、ブサイクで歪でしょう。身体なんか完全に薬太りよ。どうも給料少ないなって思っていたら、ちゃっかり貢いでたのよ。それがさあ、聞いてよ。相手の男って言うの、旦那にとっちゃあ彼女だけど。これがまたブサイク、ブサイク。チビでガリガリなの。歳なんか五十超えてるのよ。考えただけでも虫酸が走る。でね、家裁に行った訳よ。そしたら、どうよ。旦那が男に走ったの、私にも責任があるなんて、ぬかしてさあ。五年以上、交渉が無いと認められちゃうのね、離婚。私はっきり言ってSEX嫌いだし、別にしなくたって死ぬ訳じゃないし」

何処まで田所の話しは続くんだろう。話しの腰を折る隙間が無い。いい加減、止めないとこっちが持たなくなる。田所が薄汚い人間以外の物に思えてくる。油分が抜け切ったギスギスの躰は干からびた昆虫に近い。手足が異様に細長く、節くれだった指は、骨格そのままだ。微かに動くだけで気味が悪い。エラの張ったホ-ムベ-ス型の顔面には、腫れぼったい一重瞼とラインがはっきりしない唇が付着している。首筋に掻きむしったアトピ-跡が蛇の目になって硬化していて痛々しい。掻く度に剥がれ掛かった角質層が飛び散り、テ-ブルの上に降り積もっていく。


Vol.3へつづく