291号室 Vol.9


291号室 Vol.9

「久しぶりでしょう、うち来たの。前はよく集まったよね。最近、みんな来ないのよ。書き仕事だけじゃ食えなくて、辞めちゃった子も居るし、田舎に帰って家業継いじゃった子もいる。それでも家業があるだけ良いわよ」

以前、田所のマンションにはライタ-や小説家が多数、たむろしていた。事あるごとにパ-ティ-を開き、サブカルチャ-の最前線基地になっていたのだ。別に田所を慕って集まる訳じゃなく、誰かしらドラッグを持ち込んで来ていたからだ。ガンジャやチョコがメインだったが、シャブやエルも容易に手に入った。一時、マジックマッシュの自家栽培が流行って、競い合ったりもした。それをネタに出版したドラッグ本が驚異的な部数を伸ばし、一獲千金を手にした成金ライタ-がいる程だ。ガンジャをキメている時、源三は一度、自動書記の状態に陥った事がある。思考とは関係なく、会った事もない人物の名前を勝手に書き出していったのだ。後日、偶然にも記名された人物に逢う事になり、仕事を上手く展開させた経験がある。仲間達は“サイキック“だと源三をもてはやし、自身、その世界に没入していったのも事実だ。霊能力者を招いて、降霊会を開いたりもした。謎の自殺を遂げたミュ-ジシャンを呼び出し、自殺の真相に迫ったのだが、霊能者の口を借りて出て来た言葉が「殺された」だった。内輪で楽しんでいる内は良かったのだが、決して口外しないと言うタブ-を犯して暴露したライタ-が一人いた。人気ミュ-ジシャンの死の真相だけに、犯人と決めつけられたプロデュ-サ-が訴訟を起こす問題へと発展してしまい、ライタ-は業界から干され、現在は消息を絶っている。噂では和歌山県のとある寺に出家しているらしい。

「チクッた時、結構な大金、手にしてるし、あれは間違いなく裏切り行為でしょう。野たれ死んでくれれば、こっちの気も晴れるけど。ああいうのに限って、しぶといのね。あいつは只のジャンキ-よ。出家した寺でドラッグ三昧だから。私だって迷惑したんだよ。とんでもないよ。私服は押し掛けて来るし、御土産、隠すの必死だったんだから」

何時も酔っ払って、不明瞭な記憶のまま来ていた為か、室内を見渡しても覚えている物がまるで無く、懐かしさはない。唯一、虎模様が入った飼猫のミ-シャは覚えている。と言うより、身体が反応するのだ。猫アレルギ-の源三は、この部屋に一歩足を踏み入れる度に、結膜炎と鼻炎を同時に発症させていた。隔膜の表面は赤く腫れ上がり、粘っこい粘液に覆われ、ゴロゴロとした異物感が登場する。鼻腔は完全に封鎖し、サラサラの体液が吸っても吸っても垂れ流しの状態で、半径一メ-トル以内にミ-シャが近付きでもしたら、魂が抜け出しそうな程のクシャミが連発して止まらない。ところがミ-シャは源三を気に入っているらしく、足元に擦り寄って来ては、体毛にこびりついたフケを空中にイガイガと拡散させてくる。幾ら追っ払っても、猫独特の行為は繰り返され、挙げ句の果てに降参せざるを得なくなってしまう。
ミ-シャは源三の人差指が特にお気に入りで、今も鋭い牙を立てて、相変わらず甘噛みを繰り返している。アレルギ-症状はピ-クに達した。昔、患った小児喘息が復活しそうだ。呼吸量を極端に押えようとするが、漂っている汚臭が妨げとなって上手くいかない。ペット用トイレのプレイトは糞尿で一杯になっている。飼い主のずさんな性格が、そのまま表われているよううだ。

「以前も追ってたでしょう。ネタとしてはイケてるけど、甘利って胡散くさい感じがしなかった?ミチエに面会してビビッてたじゃない。あんなのに頼んで大丈夫なの」

「本物やなかったら、それはそれで、ええネタになるんとちゃうか、エセ霊能者の手口、暴いたるんや。むしろ、そっちの方が読者、喜ぶやろ」

田所の反応は速かった。これはイケルと踏んだのだろう。不思議にも、好奇心旺盛な田所が、妻に関して一切触れて来なかった事だ。源三は、田所のデリケ-トな部分に触れた気がして、気持ちが安らいでいった。
気が付くとアレルギ-症状が治まっていた。症状が出ている時は、酔いが回らない。その分、治まると一気に利いてくる。抑制しょうにも治まらない。危機感が薄れていく。田所と盛り上がっている。欲望だけが身体を支配していた。鷲掴みにした乳房が記憶に焼き付いている。田所の発する積極的な喘ぎ声と、本人のキャラからは想像も出来ない腰のうねりが記憶に擦り込まれていく。間違いなく挿入していた。感触を身体が覚えている。
音が聞こえる。激しくうねる変則リズムと、耳をつんのめく金属音。イコライザ-の高域を極端に際立て、ディスト-ションをMAXに効かせれば、こんな感じになる。ピッチング・チェンジャ-のかかったボイスが重低音と周波数大域ギリギリの高音部を共存させていた。
始発電車のパンタグラフが鳴り響いた。夜が明けるまで、もう少し時間がある。酔っ払って、脳を軟化させたまま帰路に着いた。記憶の大半は打ち消され、部分的に磨きが掛かっている。足取りが重く、鈍い。MA-1の内ポケットに分厚くなった封筒を探り当てる。中を確かめると、一万円の束が五十枚入っていた。前倒しのギャラと取材費だ。久しぶりに、人間らしい感覚に満たされていく。この瞬間こそが希望と言っていい。しかし、希望の背後に後悔が潜んでいた。二つは表裏一体の関係にある。今、歩いて来た道を振り返ってみた。見覚えのあるラ-メン屋やインディ-ズAVショップと回転寿司、リサイクルショップが認知できる。足元を虎模様の猫が、走り抜けていった。ミ-シャに似ている。重い不安が伸し掛かってきた。俺はこの先、田所とズブズブの関係に填っていくのか。いや、既に片足は突っ込んでいる。愛せない女と生きる為に、まぐわっていく自分はとことん惨めだ。最後に後悔の念だけが残った。


第二の事件 Vol.1へつづく