生霊 Vol.5

生霊 Vol.5

教授は挨拶も告げずに、半ば強引に受け取らせて走り去って行った。正常な人間がやったとは思えないぐらい、書類封筒は何層にもガムテ-プが巻かれロックされていた。源三の中に不快感だけが残った。薄ら寒い感じすらする。

いきなり「あっ!」と声を漏らしたかと思うと、急に清美が人混みの中へ向かって走り出して行った。店員が不審そうな顔をしてこちら側に向かって来る。無銭飲食だとでも思ったのだろう。源三は三人分の支払いを済ませて、清美の後を追った。人混みの中で清美は鋭い視線を投げかけて何かを捜している。

「急にどないしたんや。金も払わんで、出て行くなや」

清美は鼻を鳴らして嗅覚を働かさせている。微かに柑橘系の臭いがした。

「清よ!清が居たのよ」

反射的に源三は辺りを見回した。

「あの男が、ここに居たのよ」

「ほんまに清か?」

「見間違うはずないじゃない。あれだけ特長がはっきりしているんだから」

つられて源三も人混みをかきわけて、清の姿を捜した。正直、諦め掛けていただけにテンションが一気に加速した。

東京発、22:00名古屋行き700系のぞみの出発を告げるベルが鳴り響いた。群がった人々が改札の中へぐんぐん吸い込まれていく。あっという間に人の波は消え、改札の前に源三と清美だけが取り残されたかたちになった。
「クソッ!」と口惜しそうに清美が声を上げた。逸る気持ちを押えて、源三はもう一度、辺りを見回してみたが、すでに人の姿は何処にも無かった。700系のぞみが発車し、頭上を轟音が響き渡っていった。耳をつんのめくパンタグラフの摩擦音に操られて、源三が叫んだ。

「ホ-ムや、ホ-ムに入ったんや」

源三は改札を飛び越え、14番ホ-ムに繋がる階段を駆け登って行った。加速する走行音が迫って来る。必死になってホ-ムに辿り着いた瞬間、700系のぞみは目の前を一気に加速していった。14番ホ-ムに人の姿は無い。源三は他のホ-ムも見渡してみた。向かい側の18番ホ-ムに人の姿が僅かに確認出来る。そのまま登って来た階段を駆け降り、折り返して18番ホ-ムに続く階段を駆け登って行った。呼吸が圧迫され、心臓が激しく波打っていたが、それでも走った。このチャンスを逃したら、二度と逢えなくなるかもしれない。何としてもビデオが見たかった。切迫感が源三を突き動かしていた。ホ-ムに登り詰め、一人一人確認していったが、清の姿は無かった。肉体的疲労が身体の内部から突上げて来て、源三はその場に崩れ込んでいった。呼吸困難に陥りそうなぐらい息が荒い。不快で粘っこい汗が全身から吹き出した。清美の駆け寄って来る情景を視界が捕えた。

生物は生まれてから死ぬまで、ほぼ同じ数の心拍数を刻むと言われている。蝿と人間を比較してみると面白い事が解かる。70年は生きる人間と、数日しか生きられない蝿が同じ数なのだ。それは蝿の心臓が人間の何万倍もの速さで心拍している事実を意味する。高速で心拍を繰り返す蝿のビジョンは、人が普通に見ている物の動きを、ハイスピ-ドカメラで撮影した映像の様に超スロ-モ-ションで捕えているという。人が叩き潰そうと手を振り下ろした時、蝿はいとも簡単に擦り抜けてしまうのはそういう訳だ。源三は今まさにそういう状態だった。清美がゆったりとした動きで近づいて来る。地面から浮かんでいる滞空時間が恐ろしいほど長い。まじかまで接近してきた清美の顔が、大写しになった。

「大丈夫?」

清美の問い掛けに「大丈夫だ」と、答えようとするが、激しい呼吸音に掻き消されて声にならない。こう言いたかったのだ。

「清は発車したばかりの、のぞみに乗り込んだに違いない」

Vol.6へつづく